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藤井フミヤさんは安定的にデビューからずっと活動されているだけに、時の流れを感じないような、気づけば時が経っていたような感覚になる方ではあります。

藤井フミヤさんは絵も得意で、個展をひらくこともあるそうです。
藤井フミヤさんはソロ活動を始めてからは、無理せずやりたいことを選びながら仕事をされているような感じがあり、歌や絵などにも深みがあり感情がこもっている雰囲気も感じます。

藤井フミヤさんが話していたように、仕事は小さくなり2016年からは作品発表もむかしほど多くはなく丁寧に時間をかけてつくられている印象はあります。
今はラジオやドキュメンタリー番組やライブ活動も多くされているそうです。

人はお金もないと暮らせず稼ぐのは当然のことではありますが、お金にも余裕があるからいい作品をつくれるのか、いい作品をつくった結果余裕を得たのかはわかりませんが、お金のことは気にせず、やりたいことをやりながら暮らすのは憧れることでもあります。

月日が過ぎ、年齢もかわれば作品でも力強さもなくなっていったりすると思いますが、藤井フミヤさんはそういう雰囲気もなく力強いままですね。

やはり地元の福岡県や久留米市を大事にされていること、故郷を大事にされていることも大きいのではとも思いました。
多くの人は故郷に戻ればその頃のことを思い出し、あの時と子生感覚になり、考え方にも変化が出たり、意欲も出てきたりします。

芸能人の中にはデビューしたあとはあまり故郷には帰らないという人もいますが、売れて立場や環境が変わり戻りづらく人に会いづらくなっているのかもしれません。
そういう部分では藤井フミヤさんは別に変わることなく、人の視線を気にせずみたいなところも影響しているのかもしれません。


藤井フミヤさんはマイペースは感じもありますが、同時にスタッフなど仕事の仲間思いでもあるそうで、スタッフの仕事をつくるためにもコンサートやライブを行うこともあるそうです。

とはいえ、コンサートへの思いもなければなかなか成功はできませんし、はやりうたやコンサートへの思いもあるのでしょう。


あまり変わらない雰囲気

藤井フミヤさんは雰囲気はあまり変わらないところもすごいところです。
人は人気が出るとどうしても気を使ってしまいますが、その時々の人気に関係なくとくに変わらないのはすごいことです。

そして年齢が変わるにつれ、年齢が高い雰囲気の人の振る舞いになっていきますが、そういうこともなく60歳と聞いてびっくりするほどです。

故郷の福岡県は昔アメリカの基地があった

藤井フミヤさんの久留米市周辺なのかはわかりませんが、米軍があったそうで、アメリカの方も多く住まわれていたそうです。

そういうこともあり、そういう土地柄ができ、周りを気にしすぎない気を使いすぎない雰囲気が作られたのかもしれません。
またアメリカの基地があるところではアメリカの音楽文化に触れる機会も多く、日本ではなじみのない新しい音楽が誕生しやすかったそうです。

今とは違い昔はネットもなくアメリカの文化に触れるのは店やテレビなどからの情報くらいで、アメリカでは何が好まれ、どんな音楽があるのか、アメリカの方から直接聞くこともなかなかなありませんでした。

そういう部分では沖縄はアメリカは新しく感じる音楽も多く、150万人の離島という環境ながらも、遠く離れた首都でも動じることなく変わらずに自分を出せるのかもひれません。

芸能人となると、人気を同じ状態に保ちたいとか、とにかく出続けたい事務所は常に仕事を入れたい、お笑いタレントは芸人らしさを出すためにお金は入ったら使う仕事とお金がなくなってからはアルバイトをするなど常に全力なところがあったり、それぞれの分野では全くちがったりはしますが、藤井フミヤさんは余裕がありものごとを極めたり、完成度の高い作品をつくり、歌声や絵など得意分野を獲得していったり、大事に積み重ねていった感じが伝わってきます。
とくにく量をというわけでもなく、一度使ったら終わりとかでもなく、残り続ける作品が多いです。

芸能界に限らず、日々積み重ねの心を持ち、今日の努力今日の活動はこれからもずっと力になってくれる、ずっとこれからにつながり支えてくれるのかもしれません。
そう思うと、大事なところは丁寧に、時間があれば時間をかけて取り組むなど積極な心を持てそうです。

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歌手の藤井フミヤさんは豪邸が、話題になることが多いですが、その有名な豪邸もその後は個人事務所として使っていたそうです。
同時にさらに新しい住まいも建ててもいたそうでそちらに今はすんでいるそうです。

そして2016年には、昔住んでいてその後事務所として使っていた家はその後売りに出されたそうです。
その理由を藤井フミヤさんは今は少しずつ芸能活動も小さくしていって、それにともない事務所も小さくしているから広い物件でなくてよくなったからだと語っていました。
あの藤井フミヤさんが仕事を小さくするようになってしまったのかと驚きました。
50代半ばの頃のことのようです。
まだコロナの世の中でもなく、あと少しで還暦、でも50代まだ働ける仕事の経験豊富な年齢、それでも仕事を小さくする準備をはじめることを考えられたのですね。
そういう年齢になられたのですね。
振り返ると、メンバーだった徳永善也さんが2004年に亡くなり、亡くなることも遠い年齢ではなくなっているんだとか感じられたかもしれませんし、そういうこともこれからの計画にも影響したのかもしれません。


動画などで、チェッカーズや藤井フミヤさんを見ることもあるだけに、あの藤井フミヤさんがある意味、芸能活動の最終章のような時期に入ったのかもしれないような気持ちにはなりました。
動画を見ていると、引退や最終章はまだまだ先、遠い未来なんだろう、それどころか永遠に訪れないことだという感覚になっていましたが、それだけ時が経っていた、藤井フミヤさんも40年日々毎日を仕事をしてこなしてきたんだ、歴史を作り続けてきたんだなとより一層感じました。


デビューが21歳の時の1983年です。
なんとなくやんちゃとか、いけいけとかおれはおれみたいな雰囲気なので、高校生くらいでデビューという印象もありましたが、元々周りを気にしすぎず、自分を持っている方ということなのかもしれません。

デビューから5年後の1988に豪邸が完成していたそうで、今の価格でも10億円とのことです。
土地代も上がったのだとは思いますが、やはり当時も10億円に近い総工費建築費だったのではないかと思われます。
それから15年後の2003年には違う豪邸を建てられました。
子供さんはまだ大人にはなってなかったようなので、それまでより小さな家になったわけではなさそうです。
同じかもっと大きく広い家なのかもしれません。
住居費以外にもお金は必要になるので、それを考えるとどれほどの稼ぎだったのか、お金を使うところがなくなりお金が増えていくばかりで、それで大きな買い物をすることになったのかなとも思ってしまいました。

このあとも藤井フミヤさんを振り返ってみようと思います。


アメーバの人気ブロガーだった中川翔子さんは今ブログはどうなっているのか、気になり見てみたら半年以上更新がなく、2022年になってからは投稿していないようです。
アメーバブログは芸能人だと年間2000万円くらい稼げるそうで、続けてもそれなりの収入はありそうですが。
殿堂入りまでなった方。
それでも今はあまり稼げなくなっているのでしょうか。
記事も6万記事ほとあるようです。
中川翔子さんだけではなく、上地祐輔さんや若槻千夏さんも今はブロガーという感じではない気はします。
年間1000万円くらいあれば、続けそうなので1000万円も届かない状況なのかもしれません。
中川翔子さんのブログそのものが人気なのだと思っていました。
しかしその時に話題の人とか、テレビでもよく見かけるとか、状況が影響しているのかと思い、驚きました。
人気タレントブロガーも、昔ほどテレビでは見かけなくなり、それならブログに集中とかでもなく、テレビやイベントやブログにと忙しいか、それともテレビやイベントやブログもほどほどにあるかみたいな感じなんですね。
芸能人のブログでもこんなに状況が変わるとは。
バンド「シャ乱Q」のボーカルで音楽プロデューサーのつんく♂(46)さんが 声帯を摘出しましたが、食道発声法のリハビリを行っているそうです。

スタッフの中にも声をうしない食道発声法で話せるように なった人がいるのだとか。

早ければ1年で話せるということなので、 2016年の4月に話せるかもしれないという ことでしょうかね。

昔の歌声ではないものの歌をうたうことは できるのだとか。

この歌うと言うのは一般的な歌声なのか、 それとも歌声ではないとも言えないというほどの 歌声なのか気になりました。

医学博士によると違和感のない自然な声が出せ、 会話に全く問題ないほどになるのだとか。

この違和感のない自然なと言うのは人によって 感じ方が違うので、声帯をとったのを考えると自然に 近いという意味なのか、それとも声帯を取ったとは 思えないほどの声帯のある人と変わらない声なのか。


声を失った人が空気で声を出すということもやっていましたが、声は小さくなり少し聞きづらい感じもあったので、元通りの声に戻るというわけでもなさそうでした。


モーニング娘などハロープロジェクトプロデュース 以降はあまりテレビ番組で歌うということもなかった ので歌手活動はそれほど思い入れがないとか、 プロデュースの方が好きなのかなとは思っていました。




17歳マネージャーがナインに託した命のバトン




氷川きよしさんが暴行で種類送検されたそうで、 イメージが変わってしまったのではないかと懸念されていました。

氷川きよしさんは母親思いでデビュー前からお世話になっていたとかで、 地元の福岡にあるレコード店に時々訪れるなど恩を大事にする人だったみたいですが。

週刊誌に書かれていた男が好きだという話は本当なのかどうかはわかりません。

今まで女性との恋愛話は出たことがないですが、あまり興味はないのか。


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